第8回 講演「認知と言語」

2010年12月4日(土) 14:00-17:00 東京工業大学(大岡山キャンパス)本館 H116

講演「認知と言語」


森山 新 講師(お茶の水女子大学
「日韓両言語の事態把握の違いについての認知言語学的考察~漢語動詞・授受動詞・移動動詞~」

池上(2006)によれば、日英両語は事態把握の主観性に大きな違いがあり、英語に比べ日本語の方が主観性が高いとしている。またこれが日英両語の様々な表現に影響を与えるとしている。本講演では一般的に日本語に似ていると言われる韓国語を取り上げ、事態把握の主観性にどのような異同が見られるのかについて、漢語動詞、授受動詞、移動動詞を例に見ていく。

①漢語動詞:韓国語にも日本語のスル動詞に対応する「하다 (hata)動詞」が存在する。日本語のスルには韓国語の하다、日本語のナルには韓国語の되다 (toita)が対応するように思われるが、そこには微妙なズレがある。このズレは事態をどのように把握するかという事態把握の違いが関わっている。日本語の場合には話し手の事態把握のしかたがスル/ナル(サレル)の使用に大きく影響するのに対し、韓国語では客観性が重視され、事態が自力でそうなったか( 하다 )他力でそうなったか (되다 )により、 하다/되다 の使い分けがなされている。

②授受動詞:日本語ではアゲル/クレル/モラウという3つの授受動詞が用いられるが、韓国語は英語と同じくgiveに相当する「주다 (chuda)」とreceiveに相当する「받다 (patta)」という2つの授受動詞が用いられる。また授受補助動詞では日本語は私を主語にする傾向があるが、韓国語は動作主を主語にする傾向がある。

③移動動詞:日本語では相手に近づく動作は「行ク」で表現されるが、英語はcomeが用いられる。この点について韓国語は日本語と同じである。また日本語ではテイク/テクルといった移動補助動詞があるが、韓国語も同様である。しかしその意味拡張は日本語に比べると狭い。

以上を総合すると、韓国語は日本語に近いものの、日本語に比べると事態把握の主観性は弱いことがわかる。

参考文献 池上嘉彦(2006)『英語の感覚・日本語の感覚』NHKブックス


井島 正博 講師(東京大学)
「文末ノダ文の機能と構造」

ノダ文に関する研究は、一九五〇年代以降、現在に至るまで精力的に進められてきた。その間、個々の用法の記述は進んだが、ノダ文の最も根本的な機能については、必ずしも満足のできる説は提出されていない。しかも多くの説が、文末ノダ文に関するものであり、説明説、既定命題説など代表的なものでも、文末ノダ文のすべての用法を覆うことはできない。近年の、関連性理論説はノダ文の意味が希薄であることから、語用論の理論をノダの本質的な意味の解明に誤って適用したものだと了解される。ましてや、文末以外のノダ文、に共通の機能を見出すことに成功した議論は見出されない。

ここでは、そのようなノダ文の本質的な機能を「何らかの人物の認識」であることを示すことであると考える。その上で、これまで最も議論が集中し、さまざまな用法の広がりが見られる文末ノダ文に関して、そのような観点から用法の広がりを説明していく。

まず、文末ノダ文の場合は、文末という位置から「何らかの人物」には話し手が入り、「認識」には信念(事実であると信じていることという意)が入って、本質的な機能は「話し手の信念」ということになる。ただ、これは非常に希薄な意味であり、第一にそのことから、主語が一人称の場合には〈決心〉、二人称の場合には〈命令〉といったモダリティが生じる。それ以外の用法は基本的には事実を陳述するものであるが、第二にそれをあえて「話し手の信念」として述べるということは、一方では聞き手が知らない、信じていないことに対して用いる〈告白〉〈教示〉などの用法となり、他方では先ほどまで話し手自身が知らなかった、失念していたことに対して用いる〈発見〉〈再認識〉〈確認〉などの用法となる。また、第三にあえて「話し手の信念」として述べることは、そうする理由を推測させ、それは前の文あるいは周囲の状況に対する〈説明〉としての用法を獲得し、文文法からテクスト文法レベルの機能へと拡張することになる。